今月の芸術新潮は福富太郎(キャバレー太郎)氏の特集です。
とっても面白かったので、ゆるっとレビュー。
福富太郎とは
- 本名:中村勇志智
- 通称、キャバレー王
- 1931年10月6日~2018年5月29日
約3年前に他界されています。
端的に言うと、
本業でキャバレーの経営をしつつ、趣味で美術品収集を行っていた方。
で、本業のキャバレーの経営や店舗展開も、収集した美術品の数も質も
ずば抜けて優れているのため、伝説になっているのですね。
キャバレーのボーイから経営者となり、一時は所得番付1位だったそう。
映画になりそうな話です。
収集した美術品の特徴
絵画コレクションを始めたのは19歳の時で、
鏑木清方の絵画を臨時ボーナスで購入したそう。
収集スタイル
作者の知名度や画壇での権威には興味が無く、
美術史上の価値・評価に捕らわれない収集スタイル。
自分で良いと思った作品を収集していきます。
若い頃は贋物を購入させられたこともあり、
収集家として経験を積む中で
自身の審美眼を頼りに作品を購入するように。
熱心に収集したのは、美人画と戦争画。
収集した絵画は部屋に常時飾っておくのではなく
基本的に環境の整った倉庫で保管していたそう。
生前から美人画を中心とした展覧会を何度も一般向けに開催していたので、
その展覧会で本人も「あぁこの絵久しぶりに見るなぁ」という感じだったみたい。
美人画
福富太郎と言えば、美人画。
収集したのは、健康的な女性よりも少し陰のある女性の美人画が中心。
綺麗なだけの美人画はつまらないって、
何だか先日行った「あやしい絵展」で見た絵画と繋がります。
この展覧会に展示されていた
鏑木清方の「妖魚」や北野恒富の「道行」は
福富太郎氏のコレクションだったのですね。
戦時中、空襲で父が大切にしていた鏑木清方の絵画が焼失してしまい
父への申し訳なさもあり、清方の絵画を集め出したとか…。
戦争画
戦後の日本で買い手の見つからなかった作品には
価格を上乗せして購入するほどの熱心さ。
購入した戦争画は手放したことが無いそう。
少年時代の思い出も、
空襲で大事な絵画を焼失させてしまったことも、
全ての原点となり、特別な思い入れがあった様子。
彼自身が戦争が好きという訳では決して無く、
忘れてはいけない記憶として留めておきたかったのでないか、と。
コレクションの満谷国四郎「軍人の妻」は特に心に刺さります…。
収集した戦争画関連の約100点は、
ご遺族が東京都現代美術館へ寄贈しています。
戦争画は東京都国立近代美術館の約150点が国内最大ですが
これはアメリカから無期限で借りているものなので
所蔵数で比較すると東京都現代美術館が最大になるります。
「美術史として、戦時中を空白の時代にしない」
福富氏の大きな功績です。
感想
自分の信じた道を突き進む強さ
水商売の経営者と集めていた絵画の特性、
両者とも色眼鏡で見られてしまう機会も多かったはず。
それでも、自分の信じたものを貫けるって、凄く強い人だな、と。
超独断と偏見を交えると、
水商売の経営者の成金が、
自分のステイタスを見せびらかすために
美術史上価値のある絵をファッションとしてコレクションしている
ってなりそうなのに(本当に偏見です、すみません)、
彼自身は全くそういうことに興味が無く、
純粋に絵画が好きだったのだな、と読んでいて思いました。
実際、今日評価されている作品もコレクションの中に多くあるのだから、
福富氏の審美眼は確かなものだったのだなぁ、と思います。
私が今年行った展覧会に展示されていた作品も
福富氏のコレクションだったものが多く
見たことがある作品が沢山あることにも驚きました。
どの世界でも、長期的に成功する人はきちんとしている
最初はキャバレーのボーイからスタートし、
生活の手段として始めた仕事。
小さい頃は小説家になりたかった時期もあるようですし
自分が一番望んだものになれなくても
他の方法に生きがいや楽しみを見つけることって
いくらだってできるんだな、と、
そして、真面目に一生懸命取り組む中で
キャバレーの仕事の中に楽しさや面白さを見出し、大きな成功を収める。
福富氏はお店の女の子には一切手を出さず、
むしろ、女の子の働きやすい環境づくりに努め、
たばこや賭け事もしなかったそう。
どの世界でも成功した人ってきちんとしている人だよなぁ。
展覧会「コレクター福富太郎の眼」が東京ステーションギャラリーで開催予定でしたが
コロナの関係で当面休館になってしまいました…。
6月末までの開催なので、機会が合えば行ってみたいものです。
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