昨年旅行へ行って以降、ずっと動画にしたかったベルギーの服飾探訪記です。
YouTubeへもUPした動画についてのお話です。
エリザベス1世も、ルイ14世も、マリア・テレジアも…。
ヨーロッパの王様やお姫様、貴族達が皆、喉から手が出る程欲しがった、ベルギーのレース。
そんなベルギーのレース産業を支えていたのは、貧しい労働者階級の女性と子供でした。
小さなころから大好きな、甘くて美しいレース。
念願だったブリュッセルレースに所縁のある場所を巡る旅に出ました。
今よりも、ずっとずっとレースが高価で手間のかかるものであった時代の物語。
ベルギーの宝物を見せていただいたような幸福感と感動に涙し、レースに携わった方々に想いを馳せて…記録に残します。
ブリュッセルレースを訪ねて、旅に出る
小さい頃からレースが大好きだった私は、中学生の時にアンティーク雑貨の本を見て、「なんて素敵なレースなのだろう」と感動したけれど、その時、レースの種類まではわかりませんでした。(今思えば、それがボビンレースでした)
大学生になって、アンティークショップへ行った時、綺麗だけれどあまりにも高いレースが、袋に入った状態でディスプレイされていて…、驚いてタグを見たら、アンティークのボビンレースでした。
産地までは覚えていないけれど、あの繊細さはブリュッセルレースだった気がします…。
こんなにも美しいレースが生まれた場所へ、いつか行ってみたい。
美しいレースを訪ねて、私はベルギーへ旅に出ました。
ヨーロッパでのレースの価値
欧米では、レースを「織物の貴族」と呼び、
「レースの需要は文明の尺度」
「勇気は剣、知識はかつら、家柄はレース」
こんな言葉も生まれたことから、レースは富の象徴として、ヨーロッパを中心に発展してきました。
レース産業が発展した代表的な国として、ベルギーの他にはイタリア、フランス、イギリス等が挙げられます。女性や小さな子供たちが、生活費の一部を工面するための手段でした。
ベルギーでのレース産業
一方で、ベルギーのレース産業は少し事情が異なりました。
勿論、貧しい家庭を支えるための重要な手段ではありましたが、ベルギー国家としても、レース産業をとても重要視していたのです。
地理的な条件から、常に近隣諸国との交渉が必要だったこと、度々戦場となったことから、戦争復興の費用の捻出のために、国の制作としてレース産業に力を入れていました。
一般的には「ブリュッセルレース」と一括りにされることの多い、ベルギー産のレース。実際には、各産地によって、制作方法が異なっていたようです。
特にレース産業が栄えたのは、ブリュッセル、ブルージュ、アントワープ、ルーベン、ゲント。いずれの都市も、現在もベルギーを代表する、人口の多い重要な街です。
ブリュッセルレースとは
ベルギー産レースで代表される、ブリュッセルレースとは、15世紀からベルギー各地で生産されたボビンレースのことを指します。
ブリュッセルレースの特徴は 、美しい光沢と耐久性を兼ね揃えていること。
最高級のリネンのみで作られました。
暗くて湿度の高い室内で独自の手法で作ることによって、細くて丈夫で美しい風合いの糸に仕上がっていました。この生産方法は、量産することや、他国で作ることは難しかったのです。 多くのヨーロッパ諸外国がブリュッセルレースを自国で模倣しようとしても失敗してしまった原因は生産方法にありました。
もう一つのブリュッセルレースの技法の特徴は、メッシュのような編み地と、モチーフが別々に編まれていること。
作業の工程は
① 糸を紡ぐ
② お花模様などのモチーフを編む(ブルーの部分)
③ モチーフの周りをメッシュの編み地で埋めるように編む
仕上がったものを見ると、別々に編まれたようには見えません。物凄い技術です。
本来、全て1繋がりの糸で編むことが美しいとされていましたが、ベルギーでは国策として、レースを生産していたため、短時間で効率良くレースを生産する必要があり、この工程が好まれていました。
ちなみに、フランスでもこの工程を真似る者がいましたが、技術が伴わず、粗悪な品質になってしまうため、断ち糸でレースを制作することを1691年には禁止しています。
ブリュッセルレースの歴史
1543年 イギリス
エリザベス一世の衣料贈答目録で確認できるのが、ブリュッセルレース最古の文献記録です。
この頃には既に、レース産業が盛んであったイタリアやフランスから、ボビンレースが伝わっていたのだと考えられます。
16世紀後半
リネンで作られた美しいレースは、ヨーロッパ諸国で注目され始めます。
この頃から、国家の経済制作としてレース産業を強化しはじめ、外国の王族や貴族へ好まれるようにデザインをアレンジし、輸出用のレースを作り始めます。(輸出用のレースはやや独自性に乏しい、華麗ではあるが重厚さに欠ける物が多かった様子。)
16世紀後半~17世紀初期
この頃から、独自性のあるブリュッセルレースの技法が確立し始めます。
そのデザインはイタリア産のレースと類似する部分が多くありましたが、イタリア産のレースは絹糸を主に使用していたため、耐久性の面ではリネンで作られた、ブリュッセルレースが勝りました。
ブリュッセルレースは、衣類の袖口、衿、裾などの生地が傷みやすい場所に、損傷を防ぐ目的としても用いられました。
優美で繊細な柔らかいブリュッセルレースは、ヨーロッパで一大ブームを巻き起こします。どれほどの一大ブームだったかというと、ブリュッセルレースを輸入する費用が国家財政に影響する程でした。
イギリスやフランスでは、目に余るブリュッセルレースの輸入費用を抑えるための対策を行ったのですが…レースをめぐる貴族たちの物欲は抑えられません。
イギリスでは1662年にブリュッセルレースの輸入を禁止したものの、密輸する商人が絶えず、ブリュッセルレースをイギリス製と偽ってイギリス国内に出回っていました。
また、フランスではブリュッセルレースの輸入に重い輸入税をかけ、自国でブリュッセルレースの模倣レースを生産できるように、ベルギーのレース職人を招き、1665年に王立のレース工場を設立。しかし、独自のブリュッセルレースを完全に模倣することは難しく、結局は輸入に頼ることに…。
17世紀後半
偽装された産地のものが出回ることや、自国の技術の流出を懸念したベルギー政府は、レースの輸出を一時的に禁止し、1698年には、「海外で働いたレース職人は、さらし台にして鞭打ちの刑」という、厳しい処罰まで設けるようになりました。
ベルギーが国策として進めたブリュッセルレースは、政府の期待通りとなり、17世紀~18世紀中ごろまで、ブリュッセルのレースは、全ヨーロッパ諸国で絶大な人気を誇り、栄華を極めます。
ヨーロッパの宮廷から植民地まで、皆が挙ってブリュッセルレースを身に付けることを切望していました。
17世紀、軍服が発明されるまでは、戦争の時ですら、レースの付いた服を着ていたのだとか。ベルギーのグラン・プラスが襲撃された時も、指揮官のヴィルロワ元帥をはじめ、立場のある軍人はレースを身に付けていました。なんだか皮肉な話です。
18世紀後半
産業革命やフランス革命を経て、装飾性に重きをおいたレースの服は、男性のワードローブから姿を消しました。
これに拍車をかけるように、1801年にはレース編み機が誕生し、工業製品のレースが出回り始めました。
職人よりも6000倍も速くレースを生み出せる機械化により、1750年にはブリュッセルレースのレース職人は1万人はいましたが、1846年には4千人に減少し、徐々に衰退していくのです。
マリア・テレジアのドレス
マリー・アントワネットの母親である、マリア・テレジアです。1744年に制作された肖像画。
この総レースのドレスは、ブリュッセルレースで仕立てられたもの。なんて華やかで豪華なのでしょう。
100人の職人が、週80時間働いて、7か月程で制作したそうです。金額は当時250セント、ブリュッセルの高級住宅エリアで住宅を購入した場合の10倍の価格だったのだとか。
このドレスは現存のものが確認されていません。
このドレス、マリア・テレジアが亡くなるまで手放さなかったのでしょうか。その後どのような運命を辿ったのか、気になるところです。
探訪記録
今回私は、ベルギーのレースに所縁のある場所を、ブリュッセル、ブルージュ、そしてアントワープの3か所、訪れました。撮影が許可されていた部分を収めたので、紹介していきます。
ブリュッセル Fashion & Lace Museum
なんて可愛い看板なのでしょう。
グラン・プラスのすぐ近く、緩やかな坂道の途中にある、こじんまりとした美術館。ブリュッセル出身のデザイナーの作品が多くを占める美術館で、1階にある一部屋にレースの展示がされています。ブリュッセルレースをはじめ、他国のレースのコレクションもありました。ベルギーレースの歴史がコンパクトに紹介されていて、とても勉強になりました。
ブルージュ Lace Center
元々は、修道院が運営していたレース学校でした。現在も、ワークショップが定期的に行われていて、歴史的なレースの図書を閲覧することもできます。私が行った時はご高齢の方々が和気あいあいとレースを制作されていました。
この場所を訪れて、レース職人が置かれていた環境や待遇について、考えさせられる場面が多くありました。
ブリュッセルレースが最も人気があった時代、商人たちは高い輸入税にかかる費用を少しでも安価にするため、レース職人の労働力を搾取されていたようです。
資料によると、レース職人へは安価な工賃すら支払わずに、布や糸の現物支給で代替されることや、真夜中まで長時間労働を強制される環境で、貧困と健康被害に苦しんでいました。
ブリュッセルレースに限った話ではありませんが、文化や歴史の負の背景を知ると、複雑な気持ちになります。 美しくディスプレイされているレースに関わった人たちの人生を想像しながら、展示されている作品を鑑賞させていただきました。
アントワープ モード美術館
アントワープはモードファッションの中心地。
アントワープの街は都会的でモダンな印象を受けます。訪れたモード博物館は近代のデザイナー作品の展示が中心ですが、その一角にレースやドレスの展示があり、ベルギーではレースを大切な文化として継承していることが見て取れました。
奇抜に見えるモードファッションにも、脈略があることを改めて学びました。
最後に
18世紀中ごろまで流行した当時のレースは、決して実用的なものではなくて、洗濯することもできません。
当時のレースは金と同じくらい価値があったそうなので「宝飾品を身に付ける」そんな感覚に近かったのかもしれません。
優雅で美しいレースは、時代を超えて、少しずつ形をかえて、現在も多くの人々へ愛されています。
私はこの旅の間、人生で一番多くのレースの種類を鑑賞しました。最初は同じように見えていたレースも、知識が増えると、レースの種類や違いに少しずつ気づけるようになってきて、レースの世界の奥深さに益々魅了されていきました。
レースを作った人々、海外へ輸出した商人、身に付けた王様やお姫様…様々な人たちに想いを馳せながら、敬意を込めて、記録に残しました。
コメント