だいぶ前に終わってしまってますが、先々月、三菱一号館美術館で開催されているビアズリー展示へ行きました。
ロートレックに続き、私の大好きな時代で嬉しくなってしまう。
丸の内は嫌でもずっと関わってきた街で、高層ビル群の中にいると、なんだか圧迫感があって、威圧的で、戦わないといけないような気持ちになるので、息苦しくて、嫌な思い出も沢山思い出して苦手だけれど、三菱一号館の雰囲気は大好きです。
ビアズリーの作品は想像していたよりも、ずっと小さなものが多くて、その中に細かくて繊細なモノトーンの世界が広がっていました。
版画の中の黒と白だけで、こんなにも素敵な独自の世界観が生み出せるのか…、画材もシンプルなペンだったり、いわゆる画家、THE画家、って感じではなくて、今でいうイラストレーターやグラフィックデザイナー的な要素が強かったのかしら。
画風がタイムレスで全く古臭くないところが凄いし、ビアズリーに憧れて影響されたのだろうな…と思い浮かぶ画家が沢山思い浮かんでしまうところも、また凄い。
作品からは物凄いエネルギーが伝わってきて、25年の生涯とは、信じられません。
エゴン・シーレといい、この時代のパンチのあるアーティストは、病によって短命なのが悲しいところ。
私は、ただ美しいだけではなくて、退廃的な要素が加わったものに強く惹かれます。
世紀末芸術って、どうしてこんなに素敵なのでしょう。
ビアズリーは、制作をはじめた当初は昼間は事務員として働く傍ら、夜な夜な制作活動に打ち込んでいたそう。恐れながら、会社員として働きつつ、夜な夜な服飾に夢中な私と、ほんの少しだけ重なるな…なんて思ったり。
最初から好きなことだけで生活できる人は、ほんの一握りの恵まれた人や、才能のある人で…
これは生活のために必要だから、最低限やること。
将来、こういうことをしたいから、ちょっと無理してもコツコツ頑張ること。
そして、今だ、って時が来たら、思い切りやりたいことに振り切る。
若い頃にはわからなかったけれど、打算的に割り切ることも、好きなことに近づくために必要なのだと思います。
大学時代、私の母と同じくらいの年齢の女性が編入生でいて。その方はいつも、どんな科目であっても、物凄く真面目に取り組んでいて。私は興味にムラがあって、あまり真面目な学生ではなかったけれど、いつも優しく接してくださっていて。なんとなく、その方は、私が本当は復職の方が興味があるんじゃないか、と察してくれていた様で。
ある時、何故か2人で学食を食べることになった時、説教がましい感じは全く無く
「やりたいことに無理やり近づけるのよ、理由なんていくらだって考えられるんだから」
って、エネルギーをくれたことがありました。
どこで美術教育を受けたでもない、独自の画風のビアズリーの経歴を観て、何故か当時の事を思い出しました。
しかし、この手の展覧会で毎回考えるのは、19世紀の挿画本は本当に美しくて宝石のようです。今よりもずっと本が高価だった時代。とても贅沢で手間のかかっているものだったのだろうな…というのが、伝わってきます。
版画だし、画像でいくらでも見られるし…なんて気もするけれど、当時刷られたものを実際に自分の目で見るからこそ感じるものが沢山ありました。
やっぱり、自分で観にいかないとな、と。
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