年に1回すら連絡取るか取らないか、ってくらいの大学時代の同期から珍しくLINEが来て、
来期から海外赴任になったから、今月中に会おうよ
って連絡でした。
そこでふと思い出したので、もう何年も前の話だけれど、学生時代の思い出話を書いてみます。
私は大学と大学院の修士の6年間を、理系の環境で過ごしていました。
中高女子校で過ごした私は、いきなり概ね男子校のような男女比率の中に飛び込んでしまい、どうしよう…と不安だったのも、入学した最初の1か月程。
学年全体はとても平和で優しい同期が多かったので、人間関係に困ることはありませんでした。
研究室で3年間同じだった同期とも、付かず離れずのさっぱりしていながら、学会発表が地方であるときはレンタカーを借りて皆で行ったり、研究室や授業で顔を合わせれば、楽しく笑って過ごせる仲でした(と思っている)。
今思えば、理系の研究室の環境って独特だったけれど、文系の大学生活よりは、ずっと自分に合ったいたな…って思っています。
研究科の先生は皆癖が強いおじさんとおじいちゃん達で。笑
大学の教授は色々なパターンがあるけれど、助手からスタートする人が多い中で、私の恩師も超スタンダードなプロセスを経て、教授になった人でした。
所属していた研究科の教授の中では珍しく、一般企業の研究職から教授になった方がいて、授業中も講評会も随分嫌味を言われて苦手な人だったけれど、学位授与式の時に教授から言われた言葉だけは、今になっても思い出します。
私は殆どの間、民間企業で過ごしてきて、皆さんも大多数は研究以外の道を選択していると思うので、私からは一般企業の先輩社会人の小言だと思って聞いてください。
社会に出たら大事なことは3つで
・喧嘩しないこと
・横の繋がりを大事にすること
・40代までは、苦労は買ってでもすること
これさえ守れば皆さんだったら大丈夫です。
こんな内容のお話をしていたと思います。
当時はあまりよくわからなかったけれど、今になると言葉の重みに気付くな…と。
私がこの言葉を忠実に守れているかと言われると、全くそんなことも無いのですが、仕事で憤慨しそうになった時に(笑)、いつもストッパーになっています。
ここ数年、学位授与式が近づく時期になると、この教授の言葉を思い出します。
世の中、どの場所でも案外世間は狭いものなので、修復不能な人間関係を作らない努力が、自分の身を守ることや、頑張ったことを正しく評価してもらいやすくなることにも繋がるのかもしれません。
他の教授や自分の恩師がどんなことを学位授与式の日に話していたかは、すっかり忘れてしまいました。
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